(コメント)
先日、「昇進の条件はダイエット、ネパール警察が肥満対策で新制度」 という記事が出ましたが、今度は、アメリカで、肥満者が増えて、新兵採用時に、肥満の為に不合格となる人が増えているとのことです。
更には、「兵士の太りすぎが問題になっており、フィットネスの基準を満たさないため昇進のチャンスを失う兵士も出始めている」とのことで、ネパールの警察と同じような制度となっているようです。
肥満は、先進国では大きな問題となっていますが、簡単な改善方法はなく、やはり地道に適正な食事と運動が基本となります。
学校での食事を充実させるための法律の制定が必要で、1946年に成立した学校給食に関する法律が参考になる……と書かれていますが、ちょっと読むと、何となく反対のような気もします。
もともと、給食の制度は、記事にもあるように、栄養不足を改善するために制定されたものです。
栄養過多の現代においては、逆効果のような気もしないではありません。
しかし、現代の食事、とくにアメリカなどの貧困層の食事については、食用油などの使用が過剰となるなど、糖分・塩分・脂肪が過多である一方、ビタミンやミネラルなどの微量栄養素が不足しており、「カロリー過多の栄養不足」という状態になってしまっています。
記事は、この「カロリー過多の栄養不足」状態を改善するために、給食を利用しようということのようです。
給食というと、ぱっと思い付くのは、学校給食ですが、工場あるいは病院、寄宿舎、軍隊などで多人数のために作られた食事、又は、その食事を供することの意味だということですので、かなり意味が広く、被災地の住民に支給される炊き出しなどの食事も給食と呼ばれることがあるそうです。
給食という言葉の語源も古く、古代日本の律令制における高等教育・官人育成を目的とした大学寮の設置にまで遡ることができます。
大学寮の学生は直曹と呼ばれる学舎兼学生寮に住むこととなっていて、大学寮から学生に対して給付した食事を給食と称したそうです。
こんなに古くから給食があったとは驚きました。
日本では、学校給食はかなり普及していて、単なる栄養補給の意味だけでなく、教育にまでなっています。
特に近年は「食育」という言葉が生まれ、その食育に給食が活用されています。
食育(しょくいく)という言葉は、石塚左玄という人物が、1897年(明治30年)頃、造語したものと言われていて、様々な経験を通じて「食」に関する知識と「食」を選択する力を習得し、健全な食生活を実践することができる人間を育てることです。
食育基本法(2005年制定)においては、生きるための基本的な知識であり、知識の教育、道徳教育、体育教育の基礎となるべきもの、と位置づけられています。
いわゆるジャンクフードに関しては、販売や広告について世界的に規制されようとしているようです。
食育が進めば、ジャンクフードに対する規制も必要なくなるかもしれません。